ほんわかドイツ生活

ドイツの西、デュッセルドルフに住んで3年目。日々の生活を綴ります。

ドイツで出産(出産レポート)

出産レポート

長い長いレポートですが、読んでいただけると嬉しいです。
これはわたしたち夫婦が両親に向けて書いたメールです。
少し修正して、そのまま出産のレポートにします。

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皆さま

今回の出産の経過を送ります。
9月26日にマリエンホスピタルで3550g52cmの男の子が産まれました。
名前は源(げん)くんです。

 

24日

おしるしが2回ありました。(ピンク色のおりものみたいなもの)


25日

朝7時にいつもと感覚の違うちょろりちょろりの破水?あり。少しでしたが気になるのでマリエンホスピタルへタクシーで向かいました。


破水かどうかの検査では、最初破水ではないと言われ、その後CTG検査をしました。
CTGは日本のNSTのようなもの。赤ちゃんの心拍と陣痛の波が一目でわかる検査です。
しっかり朝ごはんを食べて行ってなかったので、赤ちゃんはほとんど動かず、病院の朝ごはんを食べて再度CTGになりました。
朝食後にまたちょろりとピンクから赤色のさらりとしたものが出て来たので、助産師さんに報告し、試薬で破水とわかり入院の運びとなりました。

10:30 CTG、バイタルサインの測定、ルート確保。
11:15 グリセリン浣腸 (たぶん120ml×2)
11:40〜 陣痛促進の…でました。ホメオパシー(Quarz、石英か…) 開始です。ホメオパシーはドイツ独特の自然療法で保険も適応されます。「これ何?」と質問すると、最初の看護師さんは植物由来のものと言いました。次の看護師さんにも聞いてみると「これは石英よ」と。「ホメオパシーには、ハチの毒とか、牛の脂とか、鉱物とか、ほんと色んな種類があって私にもよくわからない」と。なんだか謎めいたもの…??
この白い粉をスプーンの先くらいの小量一杯を舌下に。これを30分おきに5回内服し、2時間休憩後、またもうひとセット、17:40まで飲みました。
12:00 超音波で3650gと推定。
12:20 点滴で抗生剤 アンピシリン開始。(36週でたまたま追加検査したB群レンサ球菌が陽性だったため、赤ちゃんへの感染を防ぐため、分娩まで4時間ごと抗生剤の点滴投与です。)
12:50 入院棟へ。昼食。
16:00 CTG
18:00 CTG 、内診(この時点で子宮口1cm)
19:30 破水から12時間超えたということで陣痛促進剤錠剤内服。(薬の名前を聞きそびれましたが、副作用などのリスクの説明を受け、同意書にサインし、内服しました。)

23:15 CTG、内診(子宮口2〜3cm)

 

26日
0:00 陣痛促進剤錠剤内服。CTG室隣の分娩室から異常な叫び声聞こえ、怯える。
1:00 内診、子宮口4cm
4:00 子宮口柔らかくする錠剤内服。
5:30 CTG
5:45 内診、子宮口5cm、採血、バイタルサイン測定。

7:30 分娩室へ移動、陣痛促進剤オキシトシン点滴開始。
8:50 内診でぐりぐり。一気に大量の破水。これはほんとに驚きました。じゃば~ん!!ってどんどん出てくるのです。


9:45 呼吸法では痛みに耐えきれなくなってきたのでPDA開始。PDAは日本ではまだ一般 的でない、いわゆる無痛分娩です。これも保険適応。
9:55 バイタルサイン測定、採血。
11:20 痛みなく、余裕で食事ができちゃう。PDAすごい!
11:45 麻酔追加、導尿。
13:25 子宮口ほぼ全開。
14:00 ラッキーなことに、ここで日本人助産師の高野さん登場。PDA使用のため陣痛が微弱で不規則。腰の痛みが強く、指示された四つん這いでベッドにもたれかかる姿勢がとれない。麻酔追加頼むも、これ以上追加することはできないと言われ、絶望。。。ここからは1、2時間で産まないと帝王切開と言われる。PDAここまでありがとう。あとはもう陣痛とお友達になるしかない。。。出産の体勢へ。
陣痛の波が定期的になってきて、陣痛の波に合わせていきむこと数回。赤ちゃんの頭が卵分くらい出てくるも、大きくてなかなか出てこず。さらにいきむこと数回。高野さんの、「いいよー。赤ちゃんどんどん出て来てるよー」の言葉に励まされ…。
14:52 出産。へその緒は夫が切りました。赤ちゃんの汚れをふいたら、
すぐにおなかの上でカンガルーケア。初乳を与えました。お母さんは疲れているから、とその後夫にカンガルーケアのバトンタッチ。
胎盤の形がいびつで、もう少し時期の遅い出産になっていたら、血管の浮き出した部分から出血して緊急帝王切開だったかもしれないと言われました。(これはまた高野さんに確認したいこと)

出産時、膣上部から出血があったようで、何か所も縫合。縫合には先生3人が集まり、時間がかかったようです。出血は多めだったようで、このころの意識が曖昧です。ですから記憶も。先生に後で何箇所縫ったか聞くとこれは何ヶ所では表せないと言われました。尿道カテーテルも留置。

Hb(ヘモグロビン)は貧血を示すもの。もともと12あったものが7に下がり、この時血圧も一時40-50台になっていたらしい。
意識まどろみ、目を開けると視界がぼやける感じ。夫は奥さんにどんどん話しかけて下さいと言われ、死ぬんじゃないかと思ったらしい。私は一度、プスーというオナラをして、先生たちがクスリと笑ったのを覚えています。(実際には笑っていなかったらしい。)

輸液がどんどん追加され、昇圧剤も3回。意識はだんだんクリアになったけど、おしっこがほとんど出ない状況。血圧も輸液をしないと上がらない状況。水は飲めましたが、何度も吐き出してしまいました。
夜ご飯をしっかり食べて、水分どんどんとってねと、とすごい量の夕食運ばれてきました。ベテランそうな助産師さんの勢いに押されて、最初サラダにてをつけたけど、もっとカロリーとってねと言われ、少しだけパンやバナナを食べました。
この時血圧は70〜90台脈拍は140台だったと思います。熱も38度くらいあり、暑くて暑くて布団を減らしてもらったり、ボルタレン座薬を入れてもらったのを覚えています。

そして採血の結果待ち。

採血でさらにHbが5まで下がっているとのことで(本当に下がったのかは不明。このままではほっておくと5まで下がる、と言われたのかもしれない。記憶が曖昧なので、確認事項)、夜中に集中治療室に移動しました。


FFP(新鮮凍結血漿)を二つ点滴した後に、EK(濃厚赤血球)2単位を両腕から点滴開始。
集中治療室にいる間はずっと意識ははっきりしていました。朝は清拭、歯磨きをし、朝ごはんです。
しっかり朝ごはん食べてと、朝ごはんもまたすごい量が運ばれてきました。

食欲がでてきたので、モリモリ食べ、27日朝の採血で、Hbは7.6まで上昇し、血圧も90台まで上昇。問題ないとのことで昼ごろ元の病棟へ戻りました。貧血のため鉄剤をこれから二回投与するといわれました。

妊婦教室で知り合った日本の助産師、中村さんに、年間2000件のお産があったら、Hbが5まで下がる妊婦は年に2〜3人。本当に命がけのお産でしたねと言われました。え!そんなにまれなの??昔のお産なら間違えなく私は死んでいたんじゃ…。私は現代の医療に、知らない他の人の血に助けられて、生かされたのです。

 

病棟に帰ってくると、赤ちゃんと夫ペアはミルクで何回も授乳、オムツ替えもすっかり手慣れた感じになっていました。そして最初の赤ちゃんの健診には残念ながら立ち会えませんでした。

赤ちゃんはおっぱいへの吸い付きが強く、その分空気もいっぱい吸い込んで腹痛になり、ぎゃんぎゃん泣きます。おっぱいにもすごい吸いつく。お腹いたくなる。ギャン泣きをまだ繰り返しています。泣き声が大きすぎてこちらが泣きそう…。これから大丈夫かな、不安だな…が正直な気持ちでした。

ともあれ何をしていてもかわいい。かわいいのです。

 

今回の入院は結局、月曜日から日曜日の1週間になりました。
そしてこの1週間は、私たち家族にとって素晴らしい経験になりました。

マリエンホスピタルは赤ちゃんに優しい病院認定されています。
妊娠して最初の方もっぱら私の心配事は、沐浴とかどうするんだろう。
たった3日の入院で何ができるようになるんだろう...
せっせと産後をフォローしてくれる助産師さん(ヘバメ)を探すことに一生懸命になっていました。

マリエンで大事にしているのは、まず母乳。栄養。そして健康。
まずは赤ちゃんに生きる力を。そんな取り組みでした。体拭きなんて後のあとです。

はじめ母乳は全く出ませんでしたが、「おっぱいから吸う」ということにまずは力を入れて、チューブを横から通し、足りない分のミルクを足します。マッサージをしたり、搾乳機を使ったり、吸わせることで、徐々に母乳も出て来るようになりました。

赤ちゃんの吸い方もはじめは下手くそでしたが、正しい吸わせ方や、楽な姿勢をとるようにすることで、この5日間で吸い方も目覚ましく上手になりました。飲み終えてとろんと赤ちゃんの満足した表情を見るとほんとに嬉しくなります。眠りもスヤスヤよく寝ます。

ちゃんと体重が増えているか気になり、夫が朝、授乳室へ行きました。
そこで、看護師さんに、あなたたちはもう大丈夫。赤ちゃんの生きる力を信じて。赤ちゃんを見て。
そう熱く言われたそうです。
部屋に来る看護師さん、助産師さん、みんなが、母乳を赤ちゃんに与えることができるようになったことを我が事のように喜んでくれて、私は思わず泣いてしまいました。

この日夫がお祝いに金色のチョコレートを買ってきてくれました。
すごく甘くて美味しかった。この味は一生忘れないと思います。

 

源くんは本当に可愛いです。そして間違えなく皆に幸せを運ぶGlückskind です。
源くんが産まれてから 私たち夫婦の絆はより深くなりました。
私たちは今までおならを我慢してたのに、私たちの真ん中で、平気で大きなおならをするんですから。
笑ってしまって、疲れも一気に吹き飛んでしまいます。

源くんが産まれてから私の12人の妊婦仲間の繋がりもまた深くなりました。
私たちはラインというもの(一種の掲示板みたいなもの)で情報を共有しています。
どことなく本音を言えているのか?そんな掲示板でしたが、
どんな経験をしてどんな風に感じるか、どんなことに悩んでいるか、正直に伝えると、
私はね、私もね、と次々と悩みが打ち明けられ、そして自分はこんなことをしているよとか、こうするのがオススメとか、どんどん解決策やヒントが与えられるようになったのです。(他にもまだまだあるけど今は省略。)

源くんのはじめの名前候補は 康太くん、源くん、葉くんでした。
はじめは私も夫も康太君がいいんじゃないかと。
健太と康太で健康。健康、ただそれだけでいい。
あるときふと、健康を願うよりもっと愛することができるのは、「生きているだけでいい」じゃないのかなと強く思うようになりました。(このことについてもまたいつか書きたい)
君は生きているだけでいい。
それだけで私たちのエネルギーの源。そしていつでも私たちはあなたの帰る場所。
始まりの場所で帰る場所。
それが源です。

退院の日の晴れた空を忘れません。
紅葉し、ひらひら空から舞う葉っぱを見て、もう一つの候補だった葉も喜んで私たちを祝福してくれているなと思いました。

お母さん、天国のお父さん、(夫の)お母さん、(夫の)お父さん。
私たちを産んでくれて本当にありがとうございました。


私たちは今こんなにも幸せをかみしめています。


そしてドイツに来てくれる日を楽しみにしています。

 

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私たちに起こったこと、もう少し、確認しなければならないこともありますが、

これが私たちの夫婦の経験した「出産」です。

最後まで読んでくださってありがとうございました。